2017年から団塊世代が「最後の10年」に差し掛かり、これから20年が未曾有の多死社会を迎えます。
この分野の産業自体は盛り上がるのは必至ではありますが、どうも一筋縄ではいかないようです。
サマリー
葬儀あたりの規模は縮小傾向に
30年前、私の祖父が他界したのは70歳でしたが、「一般葬」と呼ばれる形式の葬儀でした。
これは広く告知して門戸を拓くオープンイベントで、誰でも参加できます。
現役を引退したとはいえ、多くの地域住民、会社関係者、親族が集まりました。
このスタイルが一般的だから「一般葬」と呼ばれる所以ですが、この10年でこの形式は一般的ではなくなり、「家族葬」と呼ばれる招待制の形式が今は5割を超えています。
いわば、結婚式の披露宴や二次会のようなものになってきています。
去年に祖母が、一昨年に大学の先輩が亡くなりましたが、たしかに「家族葬」でした。
さらに、家族葬よりも省略した「直葬」という形式も増えています。
ご逝去後は「ご搬送」から「ご火葬」の間をすっ飛ばす形式です。
お通夜と葬儀が無いモデルです。
なかには火を強くして、骨が無くなるまで燃やしてしまうという形もあるほどです。
なぜ一般葬が一般的でなくなったのかといえば、血縁、会社、地域、それぞれの人間関係(コミュニティ)が希薄化したためだと言われています。
このような背景から、シンプル葬と言われるカテゴリーに新規参入が増えてきておりますが、すでにレッドオーシャンの気を帯びています。
お墓は合理的に進化している
都内でお墓を持つにはコストがかかります。
とはいえ、所沢の奥地などに出向くにはお参りする老人も大変です。
ということで、最近は「都内駅近のお参りできる納骨堂」というスタイルが人気を博しています。
従来、納骨堂はお墓参りができなかったわけですが、お参りスペースを作り、その裏で自動搬送システムが走ることで、お参り予約ができるという仕組みです。
また、永代供養墓と言う安価なお墓も流行ってきています。
このスタイルはもともと戦後の未亡人や独身女性層に支持されたもので、お墓を守る子孫がいない場合にはお寺に預けるというものです。年月が経てば、いずれは他の方と一緒になって供養されます。
さらにトレンドといえば、いずれは土に還るという樹木葬も人気です。
公園のような墓地になっており、小さなプレートが生きた証拠として残ります。
海洋散骨はお墓のコストがかからないメリットがありますが、何も残らないというデメリットがあります。
どこかの土地に生きた証を残すということが人気の要因なのかもしれません。
お寺の存在はどんどん小さくなっている
まずは檀家の縮小です。遠方に住む檀家がお墓の引越しを契機に離れていきます。
また檀家あたりの家族数も少なくなっていることもあるでしょう。
仏壇を置かない家も増え、法事などでお坊さんを呼ばない家も増えています。
こういう中で、葬儀・仏壇・お墓の領域におけるお寺や僧侶の存在感がどんどん低下しています。
とはいえ、お寺は地域密着のコミュニティです。従来からその機能を果たしてきてました。
お金がない住民がいれば、葬儀料も安価にしてくれるといったお寺もあります。
葬儀ビジネス自体が小粒になっていくなか、近所のお寺は頼もしい存在ではあります。
ただ、相対的にお寺というシステムが空洞化、土管化してきており、寺院経営は2極化してきています。
逆に言えば、弱いお寺は融通がききますので、この広いスペースと独特の空間を、商業利用に活用するビジネスも期待できるところです。
僧侶単体でいえば、お寺のネームバリューにしがみつくよりも、個人のブランドを築いて、全国のお寺を箱に使うくらいの意気込みの方がビジネスはしやすいでしょう。
仏壇のコモディティ化
お墓は亡くなった本人の意思が尊重されるためか、さまざまのユニークなお墓がでてきています。
これに対して仏壇は見送る人の意思が働きます。
スペースをとりたくないとか安価ですませたいといったものです。
仏壇はそもそも小さなお寺を意味しておりましたが、単なる位牌の安置場所となり、家具化が進んでいます。
ですので専門店で買うものが、デパートやディスカウントストア、あるいはネットで買うというようになっています。
そういった中で人気を博しているのが、スタイリッシュ仏壇。
家具のようなデザインでコンパクトな仏壇が流行っているのです。
葬儀ビジネスのパラダイムシフトから終活ビジネスを考える
親族、地域、会社などの人間関係を受け止める供養そのものが、その意義について見失いつつあります。
また家族に依存できた老後生活もセルフマネジメントを強いられています。
したがって、今のご老人たちは、「要介護になったらどうなるのか」といった生き残る不安にプラスして、「死んだあと、自分はどうなってしまうのか?」という不安を背負って最後の10年を過ごすことになります。
この不安に対処するため、ボランティアのような生きがいを見つけたり、投資のような稼ぐことをしたり、読書会のようなサークルに属したり、CCRC(継続介護付きリタイアメント・コミュニティ)のような元気のうちに仲間と終身ケアを画策したりしています。
このような機運をビジネスチャンスとばかりに、老人を狙ったビジネスも隆盛しました。
その焼き畑ぶりは、社会問題となりましたが、法整備や市民啓発が進み、落ち着きを取り戻しています。
終活コンシェルジュの百花絢爛
老人の不安につけこんだサービスとともに盛り上がったのは、終活コンシェルジュと言われる業態です。
相続時のキャッシュポイントを狙う保険屋や税理士、弁護士、不動産関連といった業者が、ラスト10年を寄り添うことで、囲い込めないかというビジネスモデルです。
とはいえ、キャッシュポイントが企業運営のタームにあわずに、撤退も余儀なくされました。
また、これらの資格ビジネスや協会もその存在意義を失いつつあります。
ビジネスチャンスは「ナラティブ」にあり
「ナラティブ」とは、自己の存在意義を意味づける内的なストーリーのことです。
コミュニティが希薄になっている反面で、彼らの「他者とのつながり」を求める気持ちは、高まっています。
逆に言えば、今までのビジネスプレイヤーは「残された家族も安心」という訴求方法をしてきました。
老人といっても聖人ではありません。一人の人間ですから、今を満たされたいものです。
ですので残された10年をどう快適に過ごせるかが第一義で、それが前提で、死後の不安を払拭できる提案なら受け入れられることでしょう。
つまり、いまを生きている相手に寄り添い、そこでビジネスを成立させることで、死後のビジネスはボーナスくらいに思っておけばいいのです。
中途半端な「寄り添いビジネス」をするよりも、その日が起きた親族相手にアドセンス広告を打った方が儲かるわけですから。
以上、いきべん講義録でした。
来週は、婚活ビジネスです。